「黒い城と白い城」

御存知の方も多いと思いますが、
日本のお城は白い城と黒い城に二分されています。

一般的にはその理由として、

「1600年の関ヶ原の戦い後、防火性の優れた白漆喰が開発され、
徳川家がこれを推奨した為、1600年以降は白い城が多く築かれた。
 よって、黒い城は豊臣時代までの城、白い城は徳川時代の城。」

「黒い城は、敵の目から隠す戦闘用、
 平和な徳川時代は城を大きく威厳があるように見せるため、
 膨張色である白が好まれた。」

・・・と書籍等には書かれています。

現存12天守の建築年は下記の通りで、確かにそんな感じです。

【白】
犬山城 愛知   1601年
伊予松山城 愛媛 1602年 
彦根城 滋賀   1606年
姫路城 兵庫   1609年
弘前城 青森   1611年
丸亀城 香川   1660年
宇和島城 愛媛  1666年
備中松山城 岡山 1681年
高知城 高知   1747年
(名古屋城 1611年)

【黒】
松本城 長野 1593年 
丸岡城 福井 1576年
松江城 島根 1611年 
(熊本城 1588年)



でも、私のお客様で、大学で歴史を研究されてる先生の話では、
微妙にニュアンスが違っているんですね。
というのも・・・

関ヶ原後も1615年の大坂の陣までは豊臣、徳川は敵対勢力で、
戦になった時、燃えにくい白漆喰は徳川側にとっては秘密兵器。
全国的に、それも豊臣方(外様大名)に推奨するわけがありません。
豊臣側に秘密がばれちゃいます

それに、現存天守だけ見ても、
1615年までに造られた白い城は大阪を囲むように配置されてます。
全てが親藩、譜代の城であって、大阪への抑え為の城です。

大坂の陣の直後には、
一国一城令、武家諸法度が出ているので、
外様大名には城がつくれませんし、修理にも許可が必要。
破ると、福島正則みたいに改易になっちゃいます。

それに、1615年以降の城は全て、
外様を改易し、親藩、譜代大名をおいて造らせた城なのだそうです。
どの城も有力外様大名の抑えのための拠点。

歴史の観点から考えると、
お城の色の理由も少し違って見えますよね。

写真は左が姫路城、右が熊本城です。

write 2017.03.15